2009-11-17 第173回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
実は、戦前、師範学校の時代においてすら師範学校出の教師が四九%を超えたことは一度もありませんでした。開放制の下で育てられた教師たちが五〇%以上を担っていたというのが現実でございました。そして、戦後、ある方向に、言わば全体主義的な形に国が一つの教育指針を作ってしまうよりも、多様な教師をつくる方が民主主義的ではないかということで開放制が導入されたということもまた歴史の事実であったろうと思います。
実は、戦前、師範学校の時代においてすら師範学校出の教師が四九%を超えたことは一度もありませんでした。開放制の下で育てられた教師たちが五〇%以上を担っていたというのが現実でございました。そして、戦後、ある方向に、言わば全体主義的な形に国が一つの教育指針を作ってしまうよりも、多様な教師をつくる方が民主主義的ではないかということで開放制が導入されたということもまた歴史の事実であったろうと思います。
それからもう一つは、昔、私は師範学校出なもんですから、半年以上教育実習なんです。本科三年というのは、もうほとんど行って、来たらあと免状もらって行くという、その代わり、子供と接して自分が今まで勉強したことがそこで、あっ、足りないなということが分かるんです。だから、これは今のはしようがないけど、四年間でよくまあ免許状を渡せるなと思って感心しているんですけどね。 以上でございます。
○市川一朗君 こう見えても結構年取っていますんで昔の話になっちゃうんですが、昔は師範学校出の先生はやっぱり心得あったんですよ。だから、今の先生とはちょっと違うと思うんですよね。警察官はもっとあったと思うんですけれども。
総理、この間、その小学校の同窓会がありまして、もう八十過ぎた先生でいらっしゃいますが、師範学校出の非常に怖い先生、いまだに怖い。十人ばかり集まりましたけれども、同窓生にその先生に教わってあこがれて先生になったのがいるんです、同級生に。女の先生。横浜の学校で工業高校の先生を三十何年やって、今度定年ですから退職しました。
学校の先生でも師範学校出が五十円、女子師範学校出が四十円。二割程度低かったのです。男子の高等師範学校出及び女子の高等師範学校出においても、二割以上女子の方が低かったのです。そしてその昇給も低いのです。ずいぶん女性をなめたものだと思うのですが、女子の公務員というものは戦前非常に冷遇された。冷遇されたままで仮定俸給に格づけされたのです。
そうなりますと、従来、師範学校出を中心とする義務制に対しまして、旧制の高等師範、文理大等を中心とします高等学校というようなことがいろいろ問題になって三本立てができたのでしょうけれども、それがだんだん実態が変わってきたというようなことで実質的に両俸給表の間が接近してまいったという実態がいまできつつあるわけでございます。
もちろん昔の師範学校のように、忠君愛国論を中心として軍国主義的な教育をするような教員を養成せられちゃたまったものじゃありませんが、しかし、骨の師範学校出でも、そういう人物ばかりが出ておりません。いま、社会党の議員の中には師範学校出の人が相当いるわけであります。
はなはだしきは小学校の教員などが、大体師範学校出の子弟というものは地主のせがれである、これが隣の村か何かにいて教員をしておると、ごっそり自分の地所はとられる。そして一定の年限になり、恩給がついたら帰って、埴墓の地で祖先の霊にこたえて自分も営農をやっていこうと思っておったものが、ごろっとルンペンのように追い出される。はなはだしきは、いくさきに行っておった。
ましてや師範学校出の先生はこちこちでどうしても仕方がないということを言つておる。そういうふうに、日本が曽つてそういう教育をした、それが今日の非常な癌である、その善処を完全にしなければ、日本の教育はこれは明るくなつて来ない。
○岸本政府委員 地方公務員の給与の実態調査で提出いただきました教員は、大多数が師範学校出の教員でございます。現実に地方の教員としては師範学校出が非常に多いのでございます。この師範学校出の教員の初任給と昇給の基準はどうかということも、これまた人事院規則で定まつております。明確でございます。
年取つた檢定上りの先生が若い師範学校出の先生や大学出の先生から見て俸給が安い。而も序列が下に書かれているとこれは非常に不満である。やはり教員も人間なんですからね。教員の中でさえそういうような感じは可なりある。今ではそういうようなことはさつぱり取除かれております。大分取除かれているだろうと思う。私がタツチする限りは俸給順とか序列順というものは小学校では考えておりません。